音楽物語

「ななつ星」の乗務中、由布院駅に列車が停車している時、駅舎に併設されているアートホールでコンサートを実施していました。その時、アートホールで個展をされていた「ウエダ清人」氏と出会いました。その時、五島出身のウエダ清人氏は五島列島にある教会をすべて描くというテーマに取り組まれていました。そのご縁で、私も五島へ行きカクレキリシタンに出会いました。私はその歴史に引き込まれて行きました。しかし島では世界遺産登録に向けて、宗教的な側面、教会と地元の方々との問題、いろいろな思いが混沌としていました。もちろんテーマは宗教かもしれないけれど、そういう歴史があったのは事実であり、今の長崎、今の日本はその歴史の上に形づくられている訳ですから、これはひとつの文化であると考え「音楽で文化として伝えなくてはならない。音楽物語にしよう」と音楽物語「祈りの島」の制作に取りかかることにしました。

「ななつ星」の乗務中、由布院駅に列車が停車してる際、大迫は駅に降り立ち、由布院の駅舎に併設されているアートホールでコンサートを展開。運行当初もの凄く多くの観光客が由布院駅のホームに止まっている「ななつ星in九州」を観に来てくれていました。その方々へ列車のイメージを少しでも感じていただきたいとはじめたコンサート。トータル100回のコンサートを開催しました。そのアートホールは月替わりで様々なアーティストの個展が開かれていました。そこである時個展をされていたのが「ウエダ清人氏」。彼はコンサートがあることを知り、私が演奏する背景となる絵(およそ横5メートル、縦1メートルくらいの大作)を描いてくださいました。長崎にお住まいのウエダ清人氏に、ななつ星で長崎を訪れた時、お礼も兼ねて再度お目にかかり様々な話をしました。ちょうど長崎の教会群が世界遺産登録を目指していた頃。五島出身のウエダ清人氏は五島列島にある教会をすべて描くというテーマに取り組まれていました。その話を聞き、是非私も五島へ向かう事となりました。そこで出会ったのはカクレキリシタン。私はその歴史に引き込まれて行きました。ただ、世界遺産登録に向けて、宗教的な側面、教会と地元の方々との問題、いろいろな思いが混沌としていました。もちろんテーマは宗教かもしれないけれど、そういう歴史があったのは事実だし、今の長崎、今の日本を形づくるひとつの文化であると考え「これは音楽で文化として伝えなくてはならない。音楽物語にしよう」と音楽物語「祈りの島」の制作に取りかかることにしました。