SEVENSTARS in KYUSHU

演出・プロデュース

ななつ星 in 九州
SEVENSTARS in KYUSHU

JR九州クルーズトレイン「ななつ星in九州」の音楽演出をプロデュース。

ななつ星が開業する2年程前の2012年、前代未聞の豪華寝台列車の誕生に向けてJR九州ではプロジェクトが始動していました。そのアドバイザーとして企画段階から携わっていたのが大迫淳英です。

[ピアノの選定]

豪華寝台列車のモデルとなっていた原信太郎氏が模型として復元した「或る列車」のラウンジカーに白いグランドピアノが搭載されていたことから「生演奏が必要」という事でその構築の使命を大迫淳英が受けることになったのです。まずはピアノの選定。可燃物を搭載することが難しい列車の規定がある中でよく燃える可能性のあるピアノをどう搭載するかの課題に取り組みます。ピアノがどの程度列車の振動や揺れの影響をうけるかも未知数であったため困難を極めました。世界最高の列車にふさわしいピアノとは何か。またさらにMade in Japan、それもできたらMade in Kyushuを目指す製作の中、大迫が出した答えはYAMAHAのNシリーズ(ハイブリッドピアノ)でした。1つは電子ピアノなので調律が不要です。重量、価格ともに本物と遜色ない特別な電子ピアノを選びました。本物のピアノは弦の振動が鍵盤にも伝わってきますが通常の電子ピアノではその振動がありません。しかし、このNシリーズは本物に近づけるために鍵盤の振動も再現されています。さらに音が出るスピーカーなどにもこだわりがあり、鍵盤を含むアクションは本物に限りなく近いものです。アコースティックなピアノと、電子ピアノの両方のノウハウを持ち実績があるYAMAHAならではの楽器でいた。これこそ「世界最高の電子ピアノと言えるだろう」と位置づけ搭載を決めました。「ななつ星」で列車に載せる実績が出来ると、その後のJR東日本「四季島」や東急「THE ROYAL EXPRESS」にも容易に搭載ができることとなりました。

[プレス発表の演出]

2012年5月に「ななつ星in九州」のプレス発表が行われた際には、プレス発表の台本制作、ステージ演出を手掛け、これから誕生する新たな旅の価値と魅力を発信する演出を担当しました。

[CD「ななつ星」]

このプレス発表の際に後にテーマ曲となる「ななつ星」を制作。当初はイメージVTR用の音源として制作し、それをテーマ曲に昇華させました。テーマ曲を持った豪華寝台列車というスタイルは、その後に誕生した「四季島」「瑞風」も踏襲され、大迫淳英が創り上げた新しいスタイルが定番となりました。運行開始後2013年11月にCD「ななつ星」をリリース。実はここで初めて「ななつ星」をテーマ曲とするための稟議をJR九州に上げたのです(CDジャケットに記さなくてはならなかったため)。その時、当時の社長の唐池氏が「これはテーマ曲じゃなかったのか」と思わず言葉を発っせられたほどすでにテーマ曲として定着していました。CDには「ななつ星in九州」が走る7県それぞれのイメージ曲を合わせて制作。音の名称が「ドレミファソラシ」を7つの言葉があります。それをそれぞれ7県に振り当て、すべて違うキーで制作したのです。作曲は大迫淳英の大学時代の先輩にあたる作曲家・中原達彦氏に依頼。この「ななつ星」以降、中原氏との制作が本格的に始まり、現在までで新曲50曲以上を生み出しています。

[演出のプロデュース]

私は、音楽だけに留まらず、全体のエンタテインメントの演出、コンセプトの創生から構築してゆきました。

JR九州から依頼があったのは、3泊4日のツアーの中で由布院あたりで2〜3時間演奏で乗ってくれないかとのことでした。

その時私は、それでは本当に必要な音楽をお客様に届けられないのではないか、世界最高の豪華寝台列車のクォリティーを実現できなのではないかと考えたのです。
何より大切なのは、お客さまに寄り添う事。
ただ演奏するのはどこの音楽家でもできます。ななつ星に必要な音楽はそれではないと考えたのです。心に響く演奏を届けるためには、お客様と初めから旅を共にし、旅の肌感覚を共有し、オンリーワンのお客様の旅に寄り添い、求められる音楽を届けることが必須であるという信念がありました。
そこで
「出発から最終日の到着まで乗せて欲しい」と頼みました。
「列車は狭いので居場所もないしずっと乗ってるのはつらいですよ」と言われたのですが、「いえ、演出のためにありとあらゆる事をやります」と私のプランを話ました。

世界最高のサービスを目指すためにはそれでは感動を届けられないと出発から到着まで4日間のツアーすべてに演奏家が乗務することを提案したのです。

生演奏は絶えず車内で響いているような雰囲気にしたいと考えました。しかし24時間やる訳にはならないので、お客様がだれでも聴ける時間帯に出来るかぎり多くの時間の演奏をできるように行程を組み、さらに、乗務する演奏者にはすべて観光の研修も行い、お客さまに車内で沿線の観光案内や、お客様をおもてなしするサービスを行えるようにトレーニングしました。また車内での演出に生演奏をマジックを取り入れることを提案。当初、主たる顧客のターゲットを海外に定めていたため、ノンバーバルコミュニケーションで施行可能な演出を取り入れることで多言語の顧客に対応出来る事を狙いました。さらにカメラマンとしてお客様の大切な刻を写真に収める撮影をするのです。その写真を使い、車内でエンドロールビデオを制作。旅の最後、到着前に3泊4日の旅を10分ほどの映像にまとめ最終日の博多駅到着前にラウンジカーで放映します。夢の旅の最後を主役であるお客様を違う視点から見つめていただき旅の価値を再認識し、さらに旅の感動を高める演出を提案したのです。そのエンドロールビデオのBGMは生演奏で施すのです。

[テーマ曲の制作]

そして、列車のテーマ曲を制作。これは「ななつ星」の旅が、あたかもお客さまが主役の映画のような、またはミュージカルの様なものに仕立て上げたいとう想いからでした。映画にはかならずテーマ曲があります。お客様の旅にもお客様のためのテーマ曲が必要なのです。そのテーマ曲から始まるドラマが「ななつ星」という車内で繰りひろげられます。そのVTRが先ほどのエンドロールビデオとなるのです。

その後、誕生したJR西日本の「瑞風」、JR東日本の「四季島」も、私が「ななつ星」で創り上げた「テーマ曲」のある列車を見事に踏襲され、「テーマ曲」と「生演奏」を取り入れられました。この時点で、私が考え実現したことが、価値を持った物だと認められた瞬間であり、一つの文化を創り上げられたのだと思いました。

[演奏乗務員]

車内では毎日生演奏が繰りひろげられ、生演奏の無いときは特別なBGMが車内を彩ります。BGMも早朝、午前中、午後、夕刻、深夜、また海辺を走る時、山を走るときで、それぞれにあった音楽で構築しました。4日間、テーマ曲以外、同じ曲が流れることは一度もありません。
また、マジシャンも乗務させ、マジックショーも展開。音楽とマジック、ノンバーバルコミュニケーションで出来るアイテムです。当初、ななつ星は海外に向けた戦略でお客様の大半を外国人と想定していました。
それで、言葉にとらわれずに演出出来るものを揃えたのです。
これが「音旅演出家」の原点でした。しかし、この時点ではまだ「音旅演出家」というタイトルは名乗っていませんでした。ここから始まる「ななつ星」の仕事の蓄積が後に「音旅演出家」を誕生させるのです。私はまず「演奏乗務員」というタイトルを名乗りました。「演奏家」としてではなく、「クルーの一員=乗務員」として乗りたいと考えたからです。クルーさんと同じようにお客様をお迎えし、おもてなしをするのです。そして、クルーさんは料理をサーブしたり、ベッドメイクをしたりしますが、その変わりに私は「演奏をする」というイメージです。演奏が主ではなく、あくまでも「おもてなし」が主なのです。
こうやって、私がイメージした日本で初めての豪華寝台列車の演出を創り上げてゆきました。

[車内のBGM]

生演奏でカバーできない時間は車内のBGMを構築も担当しました。朝、昼、夕刻、深夜、走る路線が海か山か、そのシーンに合わせそれぞれの風景にマッチしたBGMを設定しました。4日間の旅で同じ曲は繰り返されず、すべて違う曲で構成(テーマ曲以外)しました。

[由布院コンサート]

「ななつ星」の魅力はなんと言っても沿線の方々の応援。沿線ではどこでも地域の方々が手を振って迎えて、駅にも集まってくださいます。その様子がお客様にとっては一番心に刻まれる感動なのです。最高の観光資源です。それは地域にお住まいの方だけではなく、観光で全国から来られた方々もななつ星をひと目見ようと駅に来られます。有名な観光地である由布院駅もそういう方々で溢れていました。入場券を買ってホームまで観に来ても列車の中に入る訳には行きません。列車の中と、地域にはどうしてもその壁があります。それを音楽で心を繋げたいと考え、由布院駅にななつ星が停車中、由布院駅の駅舎で演奏を届ける提案をしました。そして当時の由布院駅の後藤駅長のご尽力で、由布院温泉観光協会の方々のお力もいただき、駅に併設されているアートホール(一般の方も自由に入れる空間)でコンサートを開催。そこでトータル100回のコンサートを展開しました。

[大迫淳英が担当したオペレーション]

大迫は2013年10月15日の運行開始から3年と半年後の2017年2月まで305回の全ての運行に連続して乗務しました。特に最初の1年は上記の映像演出などのための撮影・映像編集などもすべて大迫淳英が一人で行ったため、列車の中では徹夜の作業が続きました。そのような乗務で年間200日ほどを列車の中で過ごした計算になります。

運行開始後4年半のオペレーションを担当し、387回の営業運行でお客様に感動を届けてきた。 大迫淳英は通算6年あまりの業務を実施してきた中、2013年の運行開始より305回の連続業務(3年半)を行い、2018年2月25日に博多駅で列車を降りるまで336回に乗務しました。